【家系図】家系を辿る旅 Vol.1


久しぶりのブログ更新。

昨年の5月に父が亡くなり、すでに1年が過ぎた。
この一年間に起きたことは、思い込みなのか、必然なのかはわからないけれど、

8月の新盆に知った事実から、導かれるように、家系を紐解く旅をした。

不思議に、どこかで、私がすることになっていたような気がしてる。

私は、小さい頃から、名前についている【枝】という字が気になっていて、

父が考えたと聞いていたけれど、

どうしてこの漢字を使ったのか、
何度か聞こうと思ったけれど、会うたびにそんなことも忘れ、
結局聞けずじまいのまま、父はこの世を旅立った。

そして、やっぱり、この文字が、私に紐解きを決断させる鍵となった。

父の兄弟

父の兄弟は兄、姉、父、妹の4人。

最も、父に妹がいると知ったのは、私が小学校低学年の頃。

ある日、外で遊んでいた私の横に車が止まり、
「〇〇さんの娘さん?」と助手席から突然声をかけられた。

「はい、そうです」と答えると、

「私はお父さんの知り合いなの。よろしく伝えてね。それと、、、これ」と言って
その女性は私にお金を渡そうとした。

突然の事に訳も分からず、
「いっ、いらないです」と言うと

「いいから。もらって」。

そう言いながら
彼女はお札をのせた私の手を両手で包み込み、
ニッコリ笑って、そのまま車で去っていった。

掌を見ると、そこには5000円札。
なんだかよくわからない出来事に、
私はすぐに家にかえって、父にこの話をした。

「今ね、知らない人が、お父さんによろしくって、私にお金をくれたの」

そして女性の特徴を話し出すと、父の表情はみるみる変わり、
「好美だ」と言って、私の話半ばに、家を飛び出すように彼女を追いかけて行った。

当然、数分前に、車で去っていった彼女に追いつけるはずもなく、
しばらくして、父が帰ってくると、

「なんで兄の俺に会っていかないんだ」。

そういいながら
怒ったような、悲しいような、そんな表情を浮かべてた。

その姿を見ていたら、子供心にこれ以上何も聞いてはいけない気がして、黙っていたけれど、

私は、この日初めて父に妹がいることを知った。

叔母の幻影

私の一番上の兄は彼女の事を覚えているらしく、

私が幼い頃何度か家に来たと話していて、
初めて見た時「派っ手な人だなあ~」って思ったと言っていた。

その「派手」という部分だけ、やけに強調される言い回しから、
田舎では中々みないファッションだったんだろうなと思う。

私にとって叔母となるその女性は、その後、親戚の集まりでも、
一度も会う事はなく、彼女の話をするいる人もいなかった。
(少なくとも私の前では)

それでも、時々父はお酒を飲みながら、妹との思い出話を私にした。
「体が弱くて、よくおぶって学校に連れて行ったんだ」
「ほんとにどうしようもなくてな」
大人になってからも、一度結婚したけど、いつのまにか離婚して、
その後も男に騙されお金を失ったりと、波乱万丈な人生。

いつ頃から連絡が途絶えたかは知らないけれど、
その話しぶりから、父にとって、叔母は、わがままで、自分勝手、
ダメな女性だと思っているニュアンスがなんとなく伝わってきた。

そして、私に対しても、事あるごとに「正枝は好美にソックリだ」。
そう言っていた。

私も小さい頃、身体が弱く、一時、父に学校まで送り向かいしてもらっていたし、
叔母と同じ末っ子、結婚し離婚、どこに住んでいるのかは知らせているけれど、
どんな仕事をし、どう暮らしているのかを父に何も話さない。

父にとって私は叔母と被る点が多かったのだと思う。

「正枝は好美にソックリだ」。

この言葉はまるで呪文のように、
叔母はどんな人で、どこにいるのかわからないのに、
いつも近くにいるような、影のような不思議な存在だった。

親族の中では忘れられているような存在。
兄の言う「はっで」な女性。
父にとっては、わがままで自分勝手で、どこで何をしているかわからない人。

正直に言うと、
父にそう言われるたびに、私はとても複雑な気持ちだった。

だって、叔母の人生が幸せそうには決して思えなかったから。

叔母の訃報

私が32歳の時、父の元に
千葉県柏市の駅前デパートで叔母が心臓発作を起こし亡くなったとの連絡が入った。

1997年10月、叔母60歳、まだまだこの世を去るには早すぎる。

元々心臓が悪かった叔母は、ペースメーカーを付けていたらしく、
そろそろ電池の交換時期だと言われながら手術をしなかったらしい。

親族とは誰とも連絡をとっていなかった叔母だけど、
障碍者手帳に記載されていた住所から長野の実家に連絡が入り、

すぐに柏に向かった父は、何十年ぶりかに妹と再会した。

どんな思いだっただろう。
怒り、悲しみ、あきれた顔と苛立ち。

そう、私が幼い頃、見たあの時と同じ。
いろんな感情が入り交じり、とうてい言葉などでは表現できない。

突然届いた訃報と、集まった数人の親族での葬儀。
遺品を片付けるために行ったアパートでは、
本物かどうかわからない宝石、洋服が溢れていたと言っていた。

一つ一つ片付けてなどいられないから、すべて処分。
後に残ったのは小さくなった遺骨だけ。

父は、千葉での一連の出来事を話す中で、
葬儀には叔母の娘が来ていたようだと話していて、

ただその女性とも、話すことはなく、
彼女は何もしようとしなかったと言っていた。

その話を聞きながら、叔母には娘さんがいたんだ。
一人ぼっちじゃなかったんだと、そう思ったのを覚えている。

そして、何もしようとしない。
この行動の意味も、ずっと後になって知ることになる。

次回は、ここから「枝」の文字に辿り着く話に続きます。

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