大切な人に贈ろう「3分間ギフト」

3分間ギフト。
何のことやらですよね。

これは、
とても単純。

自分の時間をまるごと3分間、大切な人に贈る。

これはどんな物よりも
心通わせることができる最高のギフト。

相手の話を聴く

子供でも、家族でも、
普段から話をしているから
必要ないと思うかもしれない。

でも、普段の会話はギフトにはならない。

3分間ギフトは、
相手の話しに、
ただ黙って、うなづき共感する。
言葉でなく感情に意識を向ける。
心の中でアドバイスや解決策を探ったり、
自分の経験と照らし合わせない。

つまり考えないで感じる会話。

そして、
目を見て、真剣に話を聴く。
間違ってもふんぞり返って聴いたり、
スマホ、テレビなどの「ながら会話」はしない。

たった3分。
自分の時間をまるごと相手に贈る。

話でなく感情に共感

例えば、

お父さんから
疲れた~と言って、つい出る会社の愚痴。
あいつがどうだ、こいつがああだ。

お母さんから
ドラマや他愛のない今日の出来事。
ママ友や家事、子供の学校の話。

子供から
好きなゲームの世界、漫画や友達との話。
理由の分からない想像世界の話。

興味もないしわからない。
自分の価値観とは違いすぎて聴いててつまらない、
こんな話を何故聴く必要があるのか、

毎日同じ話で疲れるし、
できれば避けたいと思ってしまう。

でも相手は話しかけてくる。

それはなぜか、

相手は話しそのものの内容よりも、
感情への共感を求めている。

「そうなんだね」と言われ

辛そうなら「辛いね」
楽しそうなら「楽しいね」
嬉しそうなら「嬉しいね」
大変そうなら「大変だね」
泣きそうなら「悲しいね」と、

ただそれが欲しいだけ。

相手を尊重しながら聴く

そんなことしたら、益々図に乗る。
とくに愚痴なんて聴いていられない。
そう思うかもしれない。

でも、大丈夫。
共感された感情は、
悲しみは消化され流れていく。
嬉しさは倍増して心を明るくする。

突き返された感情は、さらに大きくなって
消化不良のまま残ってしまう。

それでも、
話が堂々巡りになったら、
この言葉。

「自分はどうしたいの?」
「自分はどうしたかったの?」
相手を尊重しているとてもやさしい言葉。

娘と私

この3分間ギフトの話は
昨日書いたマーキーの講座でも出てきた。

ある男性が、3分、自分の話を聴いてもらった後に、
「まるでこの時間はギフトのようだった」と表現した。

ギフト、
それはプレゼントとは少し違う。
価値ある贈り物、天賦の才能と言う意味もある。

私はこの言葉が耳に残り、
これから3分間ギフトと呼ぶことにした。

そして、
これは、私もある時から、
子供に対して実践していることでもある。

3分と決めているわけではないけど、
話を聴いて、娘がどんな気持ちなのか、
一緒に感じる。

昔の私はとにかく話を聴かない母親だった。
もともとゲームもしないし、
(ジブリ以外の)アニメもほとんど見ない。

娘の好きな世界は、
私の興味のない世界。

だから、聴いていてつまらないと思ったし
「興味ない」「疲れているから後にして」と平気で言っていた。

だって、そんな話は
同じ趣味を持つもの同士で話すほうが楽しいと考えていたし、
その世界を理解するのは私には無理だと最初から思い込んでいた。

でも、娘は「その世界感を理解」して欲しいのではなく、
ただ私と話しがしたくて、
「自分の感情を理解」してほしかったのだと気づいた。

好きなもの、価値観は違っても
人間全てに共通しているもの

それは感情。

ギフトで変わった2人の関係

娘はよく私の話に
「私その話興味ない」といって話しを遮った。

その度にムッとして、
「そう言う言い方はないでしょ!」って言ったけど、
私自身がまったく同じ事をしていたことに
実は気づいていなかった。

今は、
娘の話しを聴きながら、
感情を一緒に感じている。
「嬉しいね」
「面白いね」
「それは頭に来るよね」

基本、娘から
質問がくるまで、ああしろ、こうしろとは
言わない。
ときどき言ってしまうけど・・・

で、何が変わったか、
娘が私の話しを聴いてくれるようになった。

共感し、時には一緒に涙を流してくれる。

ギフトを贈ると
ギフトが返って来る。

とても心地よい時間が流れる。

もし、今、家族は私の話しを聴いてくれないと
思っているなら、

是非、自分から先に3分間ギフトを贈ってみてほしい。

その内、相手の表情が変わっていくのが分かるから。