【岡部明美さん個人セッション1】一見自立系女に見える私の心の中


昨日、岡部明美さんの個人セッションを
受けてきた。

私たちは、みんな「あけみちゃん」と呼んでいるので、
以降、あけみちゃんと書かせてもらいます。

あけみちゃんとは4年前に出会い、
草津で行われた3日間ワークを経て、
彼女の主催するLPL養成講座
2016.2017年と2年間学んで来た。

そして、今回あけみちゃんに
意を決して個人セッションをお願いした。

LPL養成講座中は受講生同士で行う
自主セッションを100以上こなし、
精一杯自分に向き合って来たつもりだけれど、

それでも、ずっと持ち続けている自分への不信感が
根底にあって、どうしても拭えない。

薄皮を一枚ずつはがすように、
私の根底にある確信となる思い込みに
近づいている感覚はあったけど、

それは、私が最も認めたくない陰陽で言う陰の部分。

その最も深い部分に向き合う時は、
やっぱりあけみちゃんにお願いしたいと
ずっと思っていた。

自分を否定する思考の源

私は今回のセッションで2つの事に気がついた。

1つ目は自分の思考の源。
それは「クレクレもっと」

何のことやらでしょ?

話は前にさか上るけど、
私は20代の頃、バリバリに仕事して、
できる女になろうとしていた。

男性だから、女性だからとか関係なく、
とにかく、与えられた仕事で、
わからない事があったら、外部でこっそり学び、
できる限り一人でやりきる、それが仕事なんだと思っていた。

こんな私だから、仕事で評価されても、
女性としてはチヤホヤされる事もなく、
いわゆる可愛くない女だったと思う。

そんな中、周りに、
男性から、とても可愛がられる女性たちがいて、
ご馳走してもらったり、プレゼントをもらったり、
「わぁー、何々さん、ありがと〜」
その一言で、男性陣を虜にするの。

正直、両者を「バッカじゃないの?」って思ってた。

それでもね、
たまーに私にも海外に行ったお土産と言って、
口紅やら、お菓子やらを買っていてくれた男性もいた。

私その人達になんて言ったと思う?

「は?いらない」

もう、人間としてどうかと思うし、
今考えると、本当当時の私をどつきたい気分。

でもね、頑なに、こんな行動をとっていたのには
私なりの訳がある。

喜びを感じる力

私は、子供の頃、
両親に何か買って欲しいと要求した記憶がなくて、
時々、何か買ってもらうと、家計を圧迫するんじゃないか、
迷惑かけるんじゃないかって、申し訳ない気持ちで
いっぱいになった。

だから、私にとって、何かをもらうと言う事は
気持ちの中で、喜びには直結できず戸惑いが先にくる。

可愛く要求する事、
要求を気持ちよく聞いてもらって、
嬉しくて「ありがとう」
この言葉で、相手も満足してくれる
こんな心地よい経験ができなくて、

だから、相手からの要求には応えられても、
自分から要求するという事がどうしてもできない。

それでも、何度か
お願いをチャレンジしてみても、
自分でも呆れるくらい可愛くない頼み方。

だから、周りにいる、
私には単なる甘えに見える女性からの要求に、
男性が喜んで応え、
笑顔ひとつで二人ともが幸せそう。
それは、いったいどんなカラクリなのか、
不思議で、不思議で、自分にはできないから
イライラして、バカにして、

でも、本当はね
とっても羨ましかった。
甘えてみたかった。
わがままを聞いて欲しかった。

上手くいかないパートナーシップ問題

それでも、この甘えるという行為は、
年齢と共に、学び、
今はなんとなくはできるようになって来た。

つもりだった。

でも、真似をしてただけで、

やっぱり、根底の私は変わっていない。
プレゼントだけでなく、愛情も、全てに関して、
心の中で、受け取らない?受け取れない。
受け取るのは申し訳ない?
迷惑かけているというような
どうゆう感覚かは
うまく説明できないけど、相手にとっても
自分にとっても心地よい思考ではない事は確か。

この問題を浮き彫りにしてくれたのは、
今の彼の存在。

そもそも、あけみちゃんにセッションを
頼んだのは、パートナーシップ間で起きた事件だった。

私にとっては、清水の舞台から、飛び降りる
くらいの、気持ちでしたお願いが、

ことも見事に突き放され、そのまま落ちちゃった。みたいな。

助けてほしいのに、
どうして、私のお願いは聞いてもらえないの?

前に「もっと頼っていいんだよ」て言ってたじゃない?って。

頭の真っ白になって、
もともと持っていた自己否定感と共に、
もういい!
あなたを頼った私がバカだった!

そして、一見自立系女性に見える人がやりがちな、
離れるも頭をよぎって、また、この思いに蓋をしようとしていた。

なのに、
翌日、彼は何事もなかったように、いつもの調子で
連絡してきた。

正直、「ふざけんな」という思いと
「あれ?なんで?」

拒絶されたように見えたけど、どうも違うらしい。
これは、まさに、私が解きたかったカラクリ。
今、逃げずに、向き合う必要があるなと感じた。

自分を定義する言葉

あけみちゃんのセッションを受けて、

この日に感じた感情と出来事。
それと、今まで自分がどう考えて生きてきたか。

あけみちゃんは、ずっと私の話を聴いていて、
一通り話し終えると、

あけみちゃんの言葉で誘導されて行ったのは、
私が、母のお腹の中にいた頃。

そこで何を感じる?
その言葉に、

本当なら、母のお腹の中で、一番安心している時期なのに、
私の頭の中に出てきた言葉は

「私ってずるい」だった。

実は、母は、私を妊娠する数ヶ月前に
もう一人妊娠し、家庭の事情で一度諦めていた。
(この事実知ったのは、私が30代の頃)
でも、すぐに私ができて、
同じように諦めるように言われたけど、
母は「今度は産む」と言って、反対されるなか、私を産んだ。

私の言っていた
ずるいは、たった数ヶ月違うだけで、
生まれて来れなかった、私の兄妹への思い。
母の罪悪感と後悔、兄妹が感じたであろう無力感。悲しみ。そして、拒絶感。

そう言った、言葉ではうまく表現できない
様々な感情が入り混じって絡まった状態の中で

自分が生まれる事を、優先した私は
「ズルくて、計算高い女だ」というそんな思い。
この言葉がそのまましっくりきているわけではないけど、
自分を定義している言葉である事は確か。

あけみちゃん曰く、
話をずっと聴いていて、
私の苦しみや悲しみは今世でできたものじゃないと感じたと、
後になって話してくれた。

その感情がどう影響するのか

「ズルくて、計算高い女だ」

この想いが根底にあるとどうなるか。

この言葉の前には、
人の気持ちより自分を優先させ、自分の得と、
自分のことしか考えない人間、、、

こんな言葉が付いている気がする。

自分をこう定義しながら、
人にお願い事をすると、
人は、私の言葉より、根底に持つ、定義を感じ取る。
だから、気持ちよく聴いてはくれない。
そして、潜在意識でこんな定義している私自身も
好きになれず、自己否定が止まらない。

正枝ちゃんは本当に
そんなにズルくて計算高い女なの?

そう聞かれて、考えた。
正直、そうゆうところは、確かにあるかも。
人間だもの。聖人君子ではいられない。
でも、そんなひどい女じゃない。
そう思った。

こんな私を許せないと思っていたから、
人を頼ったり、甘えやわがままも、
相手にも、自分にも、心地よい反応をすることができなかった。

でも、心の中では
私は、頼りたい、甘えたい、わがままをいいたい。
受け入れられるという経験がしたい、
過去、満たされていない思いを満たそうという思いも働いて、

彼への要求は大人としての要求でなく、
子供の頃に感じたかった「無条件で愛される」感覚を
相手に求めていた。

きっと、ひとつでも受け止めてくれたら、
今まで抑えていた感情も重なって、
私の要求は、それだけでは止まらず、

「あれもしてくれ〜」
「これもしてくれ〜」
「私を受け入れてくれ〜」
「もっと、もっとくれ〜」

つまりはクレクレもっとになっていく。

この感情は頼るというより、もはや依存。

彼は、私が持つズルさの定義とこの幼稚な感情に気づいて、
反射的に突き放したというわけ。

あけみちゃん曰く、
「その甘えをあーいいよって言ってくれる男性も世の中には
いるかもしれない。
でも、突き放してくれる敏感な彼でよかったね。
彼は、正枝ちゃんのダブルメッセージを受け取らず、
本当の思いはどこにあるんだよ、と突きつけてくれている存在。
本当は、感謝すべき人なんじゃないのかなぁ〜」と。

本当にそう。
自分が自分を認められないから、人からの愛情で自分を満たそうとする
こんな「クレクレもっと」に付き合ったら、疲れるよね。
まして、自分を定義しているワードがズルくて計算高い女。
笑っちゃうね。

表向き、自立系女性、でも本当は、
人に頼りたくて、愛されたくて、
どこまでが甘えで、何が頼るという事なのかも
わからず、ただ、優しくしてくれる彼に要求した。

突き放されて当然だった。

満たされなかった思いを癒す方法

LPLで学んで来たから、私がする事は分かっている。

私に必要なのは、
そんな自分も確かにいると認め、そして、それを受け入れる事。

「私はズルくて計算高い女でもいい」そう、思ってみた。
または、ズルくて計算高い、そうであってもそうでなくても、それが私。

ない事にしていた私を受け入れ許す。

そして、満たされない思いも、
満たしてあげられるのは、誰でもない、私自身。
まずは、嫌いな部分も、良いところも、
そのままの私を、私が受け入れる。

甘えたかった
わがまま言いたかった
愛されたかった
受け入れて欲しかった

その裏にある私の思い、
私を受け入れてくれる人はいない。
だって、私はズルい女だから。

そんな私の思いをまるごと受け入れる。
それが、今の私に一番必要な事。

これから、私は
単なる「クレクレもっと」から、
喜びを循環できる女性へと、
少しずつ学んでいくつもり。

アナテース岡部明美WEB
あけみちゃんの個人セッション

もう1つの気付き、
「父への思い」これも、私が長年持っていたもの。
それは、また、別の日にアップします。