【不登校】見逃した兆候

学校の先生との交換日記

小学校6年生の頃、担任の先生は生徒全員と交換日記をしてくれていた。

内容は何でもよくて、日頃思うことや、生徒同士の出来事、勉強の悩みなど、自由に書いくと先生から毎日コメントが帰ってくる。

ある日、PTAの仕事で学校に行った時、担任の先生から、呼び止められ、「お母さん、娘さん家ではどうですか?」と聞かれて、「?」となり、とっさに、日記に私の事が書かれていたのだと悟った私は、

「私の事が大嫌いみたいで、色々書いてますよね?」と聞くと、

先生は、
「いや、そうじゃなくて、お母さんの事が大好きなんですよ。今度ゆっくり話しましょう」という会話をしたことがあった。

嫌いでしょうがない

なんとなく、高学年になってから反抗的になっているなと感じていたし、でも、そろそろそんな時期だろうと、あまり気にしていなかったので、単純に成長過程と捉えていた。

なので、そのことについて、深く考えることも、先生が何を言いたかったのか、その後聞くこともせず、笑って「大丈夫です」と答えていた。

ある時、先生との日記が、いかにも見てと言わんばかりに机の上に置きっぱなしになっていた事があった。

今考えれば、読んで欲しかったのだと思う。

でも、私は気にも止めず、開きもしなかった。

後から、知った、その日記の中身は
私への文句と怒りがびっしり「もう、嫌いでしょうがない」と書かれていたらしい。

この頃の家庭像

私は娘が学校で嫌な事があっても、「そんなの笑い飛ばしてやれ!」とか「気にするな」ということが多かった。

傷ついてる心を受け止める必要性がわかっていなかったんだと思う。

でも、そんな私の態度に、真面目な娘は「傷ついていないフリ」をするようになった。

本当はすごく悲しいことがあったとしても「私平気だよ」と言って笑う。

実は、なんとなく、違和感を感じていたこともあったけど、日々の生活に追われ、すっかり見逃してしまった。

娘はまだ12歳、傷つかない訳がない。
本当は平気じゃないから「平気だよ」ってわざわざ言うんだよ。

それは誰が望む人間像?

私が望む人間像になろうとした娘は、本来の自分を否定していく事になったんだと、今ならわかる。

「そんなの笑い飛ばしてやれ!」とか「気にするな」と言っている本人が、実は結構気にするタイプだし、私こそが、そうなりたいと思っていた人間像を娘に求めていたんだと思う。

次に続きます