【不登校】最後の藁となった事件

事件の内容

最後の藁
藁はしばしば小さなもの、軽いもの、つまらぬものの意味に用いられますが、らくだの背中に藁を積めるだけ積んでいった場合、遂には一本の藁でも追加すれば、らくだの背骨が折れてしまうことがある、と言う意味。

娘が中1の夏、これが「最後の藁」となり、耐えることのできる限度を超えてしまったと思う事件がある。

私は、自宅でも仕事を請け負っているので、パソコンは仕事道具であり、収入を得る為に必要なもの。でも、使っていない時は、娘も使用するので、「これは壊れたら困るものだから大切に使ってね」と言って自由に使わせていた。

そんなある日、娘がパソコンの電線に足を引っ掛け、机から落としてしまい、動かなくなってしまった時、いつもにまして、頭ごなしに怒ってしまった。

娘はもちろん悪いことをしたのはわかっているので、ただごめんなさいと謝るだけ。
でも、私の怒りがどうしても収まらない。

何度もぶり返す怒りを、そのまま娘にぶつけてしまった。

私の怒りの本質

なぜ、あんなに頭に来たのか、

だって冷静に考えれば、動かなくなったなら、修理に出せば済むこと。もし、本当に壊れたとしても、娘はわざとやったのではない、それを理解していれば、他の対処は色々あったはず。

私が、自分の感情をぶつけている間、娘の顔が、「どうしよう…」と困惑から、みるみる【怒り」に変わっていったのが見えた時、
「はっ」となり、言うのをやめたけど、あとの祭り。これは娘の中にあったほんのわずかに残っていた自尊心を粉々にしたのだと思う。

そして、今言えること。

私の怒りの本質は、

「娘に私の大事にしていたものが壊された」 → 「娘は私を軽く見てる」 →「娘の為にこんなに頑張っているのになぜこんな扱いを受けなきゃ行けないのか」→「大切にしてくれないならもういい!」

のような、もうめちゃくちゃな発想で、怒りを爆発させ、ストレスを発散していただけだった。
(これについては後で詳しく書きます)

パソコンの一台や二台、確かにダメージはあるけれど、娘の自尊心を奪うほどの事件ではまったくなかったのに。

エネルギーを奪う母親

子供のためと言って、している行動の9割は、もしかして、自分のためだったのかもしれないと思う。

あなたのために

1、一生懸命働いている
2、ご飯を作っている
3、自分のやりたいことを我慢している など、

数えればキリがないけど、これって子供には関係ないよね。
だって、子供を産んだのも、離婚したのも、自分の決断。

働くのも、ご飯つくるのも、我慢しようと決めたのも、やっばり自分。

そう覚悟が決まっていたら、娘に腹をたてるなんて「お門違いもいいとこ」な話。

でも、この頃はまだそれに気づけず、
娘に言い過ぎたことだけは反省していた。

続きます。