【ゲシュタルト療法】私のパートナーシップはなぜうまくいかないのか。我と汝、我とそれにみる今ここ気づき。

「生きつらさ」を手放す。この本の著者である室城隆之さんのセッションを受けて、

今まで、何となく気づいていたけど、その沢山の点と点が線で繋がった気がする。

それは、何気ない言葉だった。セッション前に、ゲシュタルト療法とは何かを説明してくれた時に出てきた言葉。

「我と汝」そして、「我とそれ」。

本に書かれている言葉を噛み砕き、こんな説明をしてくれた。

「我と汝」とは、対等な人間同士としての関係。
「我とそれ」とは、役に立つか立たないか、人を自分にとっての道具(物)としてみる関係。

そして、気づいた。
あー、そうか。私は【それ】にずっと反応していたのだと。

ある特定な人達への反発

22才で入社し間もない頃、
会社で開かれた宴会で、たまたまこの会社を創設した会長の目の前に座る機会があった。

沢山の料理が並ぶ中、その会長に、私はお酌も料理を取る事もあえてしなかった。

その私の姿に、ヤキモキした年配の男性が、目を見開き、強めの口調で「ほら、寺島、会長にお酌して料理を取って」と言ってきた。

私はすかさず「嫌です。自分で食べたいものをとっていただいた方がいい」と伝えた。

その男性の顔は、みるみる赤くなり、みんなの前で「お前のような女はな、愛人くらいにしかなれないだよ!」と、大声で言い放ち、抑えきれない感情をぶつけてきた。

「愛人にしたいなどという男とは付き合いませんのでご心配なく」

私は火に油を注ぎ、

「なにをー!!」
立ち上がろうとする彼を周りの男性達はなだめ、

そんなやりとりを聞いた、何人かの女性達は、すぐに会長の周りに集まり、お酌し、料理を取り分けて、

私はその目の前で、何食わぬ顔で、食事を続けた。

今思えば、なんて生意気。
もっと賢いやり方はいくらでもあっただろうに。
きっと会社によっては、クビになってもおかしくない行動だったと思う。

でも、会長は、表情一つ変えず、私に何も言わなかった。

とても寛大な方だった。そして、私はそんな会長を尊敬もしていた。

なぜなら、この会社の入社最終面接。私の会長への最後の質問は、

「この会社では、お茶汲みは女性の仕事ですか?」

こんな問いに、会長は笑いながら、「そんな決まりはありません。できる人がやればいいのです」と。

その言葉を聞いて、私はこの会社の入社を決めた。

男性から見た女性とは何か

あの頃、私は、何に反発していたのか。

それは、飲み会のたびに、自分の事よりも男性に料理を取りわけ、お酌して回る、料理を楽しむ間もなく、男性に奉仕してばかり。そして、それを当たり前とし、女性達を【それ】として扱っているように見える男性達の態度に腹が立っていたのだ。

「〇〇ちゃん、タバコ買ってきて。お酒も持ってきて」

「よく気がきくね〜。〇〇ちゃんはいいお嫁さんになれるよ」

彼らに言われるがままに動き回っているように見える女性達。

それは、私の両親の姿に重なった。

私は小さい頃から、怒っていたんだ。

父の態度、母の態度、そしてその二人を見て、私は男のいいなりになんかなるものかと。

家庭の中で感じた男と女という関係への疑問。
そして、子供として愛してやまない父親と母親という存在。

私は、男として女を道具のように扱っているように見える父の姿を軽蔑しながら、懸命に家族の為に働いてくれる父を尊敬し、

女として男に何も言い返さず服従し、決して幸せそうに見えない母の姿を嫌いながら、忍耐強く父を支え家族に尽くす母を尊敬する。

こんな矛盾した感情をずっと持ったまま大人になり、この【それ】という意識を持つ男性や、男性にとって都合のいい女性に見える人達を見ては、腹を立て、何度生意気な事を言っただろう。

でもね、そんな私に、直属の上司達は、怒ることもなく、むしろ守ってくれた。
「もうちょっと上手くやれ」と。

外資系の会社だったせいか、
大半の男性達は、私達女性を【それ】とは扱わなかった。

そんな人達の前では、自分で言うのも何だけど、私はとても柔軟だ。

差しつ差されつ、よく彼らと飲み、本気で語り合い、歌い合い、叱り合い、上司とか部下とか、男とか女とかではなく、人間として付き合ってきた。

そんな事を思い出していたらね、偶然にも元上司から、なん年ぶりかの電話。

思い出話で、私は、またあの頃のように彼と会話をする。

「寺島、また飲もうや」

そこに、上下や男女の隔たりは何も感じない。

もう一つの感情

私は、上部の付き合いが嫌いだ。お世辞も言いたくない。人と本音で付き合いたいし、ずっとそうしてきたつもり。

だから、反発する特定の人達以外は、人間関係で、大きな問題が起こることはなかった。

だけど、不思議にパートナーシップだけは上手くいかない。

それがなぜなのか、ようやくわかった気がした。私は【それ】になりたくないばかりに、相手の何気ない言葉の中に【それ】を拾い集め、心の底で無用に怒っていたんだ。

そして、恐れていた。

子供の頃に感じた、男と女の不平等さへの怒りと共に現れる、【服従】という感情に。

好きになる人には、他の人には出ない、この服従という特別な感情が出てしまうのだ。
【役に立たなければ必要とされなくなる】【もっと役立つ人が現れたら私は必要でなくなる】というような感覚が心の奥底でマグマのようにうずく。

とても辛かった。

強がりながら、心の奥底では、
「役に立たなければ、何かしなければ」と自分を掻き立て続けていたのだから。

この二つの感情を行き来する私の矛盾した態度と言葉は、自分自身も、きっと相手も苦しめて、皮肉な事に、私は【それ】に化し、本当に最後に「必要ない」「いらない」と言われてしまうのだ。

家庭は子供にとって、社会の縮図。
幼い未熟な心でした解釈は、間違っていることも多い。

幼い頃怖かった父も、年とともに優しくなり、父は母を父なりに大切にしていた。そして、母も父のことが大好きだった。大人の私としては、その事を充分理解している。

でも、幼い頃に刻まれた誤った解釈は、
身体のどこかにこわばりとなって記憶されている。

小さな私が小さな家庭の中で見た社会。
父の中に見た女性像と男性像
母の中に見た女性像と男性像
そして、私の中にある女性像と男性像
この3つがいつも心の中で葛藤を生み出していた。

ただ、私は私であればよかっただけなのに。

私はどうしたいのか

さて、この怒りと恐れを手放した私はどんな人間なのだろうか。

子供の頃に染み付いてしまったこの感情を知り、
無用な戦いはやめると決めるのは私自身。

今すぐはできそうにないけど、
このカラクリに気づいたから、そのうちね、ストンと腑に落ちる日が来るように思う。

結局のところ、私がどう生きたいのか、そこが一番重要で、反発も服従も本当は必要ない。

これは、ゲシュタルト療法が示す人間観そのもの。

私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。

私は、あなたの期待に応えるために生きているのではない。
あなたも、私の期待に応えるために生きているのではない。

あなたはあなたで、私は私。

偶然私たちが出会えたのなら、それは素敵な事だ。
もし出会えなくても、それは仕方のないことだ。

最後の2行、最初に読んだ時は、少し?がついた。

で、多分、隠れたもう一文があると思う。

それは、
【そんな私たちのままで、共にいたいと思える相手に】

偶然出会えたのなら、素敵なこと。
出会えなくても、それは仕方のないこと。


今回、室城さんに直接お会いして、その飾らない室城さんの在り方が、とても心地よく、説明も素直に心に入ってきた。きっと、彼自身が、経験しながら理解し、そこから出てくる言葉だからだと思う。

そして、室城さんから言われた言葉。
人は、ああなりたい、こうなりたいと思っている時、自分を見ていない。現在位置、つまり、今できていない自分をしっかり理解し認めてこそ、ゴールへの道が見える。まずは小さな一歩から。