「その内行くだろう」という希望的観測

誰の味方?

学校に行かなくなって、1週間くらいたった頃、
私の友人が、家まで来てくれて、娘に「学校においで」と説得してくれた事があった。

その熱心な説得に、娘も「はい、じゃ明日行ってみます。」と少し笑顔で返事をした。

だけど、その後の言葉で、表情が一変。

「良かったー来た甲斐があった。本当にそんな事してたらお母さんがかわいそうだよ。甘えてちゃダメだよ〜」。

この言葉を聞いた途端、娘の顔は無表情になり、返事をしなくなった。

お母さんがかわいそう。
甘えていちゃダメだよ。

自分を苦しめている母親のために、学校へ行けと言う。
甘えられなくて苦しんできたのに、これも甘えだと言われる。

もう精一杯がんばってきたのに。

言葉にできないまでも、そんな抵抗があったのかもしれない。

誤解しないでほしいけど、このお母さんの心使いには本当に感謝している。
嬉しかったし、ありがとうって今も思っている。

学校に行かない理由は10人10色

学校に行かなくなった人の一部の人には効いたのかもしれない。
でも、娘にとっては一番言われたくなかった言葉だったと思う。

実は「甘えてる」「お母さんかわいそうだよ」という言葉はこの後も何度となく聞かされる事になる。

大人は大人の味方をして、説得しようとしてしまう。
私も逆の立場なら同じ言葉を言っていたかもしれない。

心に寄り添う

もし、身近に学校に行かない子供がいたら、今度こそ、
お母さんや大人たちの立場など関係なく、その子の気持ちに寄り添おうと思う。

もし、当時の私に、今の私が会いに行くことができたら、
娘の前でこう怒ってやりたい。

「お母さんの勝手で離婚して、その後も、疲れた顔していつもため息ついて、仕事から帰ってきては不満を漏らす。そんな状態で、娘にはしっかりしろと怒る。一人の部屋で帰りを待ち、話したいことも話せず、いつも遠慮して、娘がどれほど辛かったか、我慢してきたか真剣に考えた事があるか」と。

当時の私はこう叱られてたとしても、素直に認めないと思うけど、
少なくとも、娘は「自分の味方がいる」と、心が軽くなったかもしれない。

価値観を変えるのは難しい

当時の私は、学校に行きたくないという気持ちを理解している「つもり」で 、笑顔で過ごそうと決めた。

普段の考え方も行動も、根本が変わっていないのに、
「きっと、その内学校に行くだろう」と希望的観測だけで、「娘の考えが変わるまで」様子を見ることにした。